断易における12運についての考察

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断易を勉強している、墓、死、絶といった12運とか四世遂位と言ったりしますが、について、議論があることを知ります。

大抵の古書には、五行にも栄枯盛衰がありと書かれている一方で、近代断易では、四柱推命との癒着と言って捨て去ると言いながらも、墓と絶は捨てきれないと言ったりします。

どうして、このようなことになるのか?というと、その理由の一つは、八面体サイコロを使用するからです。この八面体サイコロを使って卦を出すと、動爻が多くでます。動爻が多いと、入墓卦象が多く出、入墓を考慮すると訳が分からなくなることが多発するからです。それゆえに、入墓は捨てざるおえなくなります。

そして、理由のもう一つ。断易はもともとあった周易に五行をはめ込んで作った占術であることに由来します。周易は陰陽論がベースの占術ですが、その陰陽論の占術に五行をはめ込んで作ったもので、陰陽五行論としての考察が不十分だからです。

それに気づいたのは、算命学を学んだからです。算命学は算命ではなく、算命学。そういうだけあって、学問として体系化が進んでいます。四柱推命と算命学と同じルーツで、使用する用語というか言葉というかが異なりますが、陰陽五行論をベースに作られている一方で、算命学のように学問的体系化は進んでいないのでしょう(四柱推命をしっかりと学んでいないで書いています。ここでは、あえてこういう書き方をいたします。)それゆえに、断易へと四柱推命的概念の四世遂位が導入されると、それが不完全になり、上手く機能しなかったのだろうと推察しています。

逆に体系化された算命学をしっかりと学んで行くと、断易の四世遂位の整理の仕方の考察が不十分だと気づきます。それゆえに、墓や絶が捨てきれないという表現で残ることになったのだと推理できるのです。当たるときもあれば当たっていない時もある。その結果、すべてを捨て去れば、すっきりはします。そして、学問としてではなく、占術としてもしくは、占いの道具の一つとして使う。先日書いた記事の通りで、カードも水晶玉も良い道具の一つであるのと同様に、です。あとは高次元に繋がれば、事は足りるからです。でも、人に教えたり、学問としてとらえようとするという面では、進歩がありません。

では、どのように考えれば良いのか?ということですが、無料のブログに書くわけにはいきません。過去に書いた断易の勉強法も、無料で公開することでは無かったと今では思っています。ですので、私なりの考察で推し進めた12運はここで公開はいたしません。

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この記事を書いた人

三上あき
アグリセラピスト
占術家(断易)
日本断易学会認定(坤綬)

趣味温泉巡り。特に草津、万座、西伊豆がお気に入り。