断易の歴史(その1)

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断易の歴史について、断易新義から引用します。

断易は今より二千二百八十余年前、中国は戦国時代に鬼谷子によって創作され、その納甲法によって特殊な易占法が創発されたと言い伝えられています。
鬼谷子は周の時代の楚の国の人で、性は王、名は詡という。仙人のように鬼の谷にという山に住んでいたので鬼谷子と呼ばれ、時々下界に出て占をやりよく当たるので庶民の評判になっていたと「十八史略」にも書かれています。
後の漢の時代には陰陽五行説が成立し相生相剋によって災害異変を占う「京房易」基づいたとされています。
魏の恵王の時代(戦国時代)に活躍した蘇泰、孫頻、龐涓、帳儀などの士は共に鬼谷子を師として学んだと言われ、鬼谷子は断易を彼等に伝授した後に雲夢山に入り姿を消したと伝えられています。故に、周易は王侯修身の学であり、断易は仙人の術とい言われています。
京房は焦延寿より易を学び、占侯易を大成したと言われています。占侯易は易の卦を直日に配して日月によって人事の吉凶を明らかにする占法で、後に京房易として伝承されて人々に受け継がれてきました。明代には劉伯温の著書「黄金策」によって京房の技術が記録説明され完全なものとなりました。

つづく

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この記事を書いた人

グローバル企業の経営企画部門に勤める会社員。
アグリセラピスト。
日本断易学会坤綬認定占い師。
ちあき(ChiAki)は、地明と書いて、地球を明るくするという意味です。
趣味温泉巡り。特に草津、万座、西伊豆がお気に入り。