ブログを続けています。何度も中断しては復活して中断しては復活して、の繰り返し。でも昨年の5月6日からは一日に一回以上は更新し続けています。では、何のために書いているのか?多くの人に読んで欲しいからなのですが、本当は未来の自分にむけて書いているのでは?と思ったりもします。このちきゅうさんドットコムの前のブログの過去記事を読んでみて、ふと思いました。
自分で書いた記事を読んで、なんだか励まされて元気になったからです。この記事、本当に自分で書いた?と自分でも思いました。(笑)以下に引用します。
2013年06月26日
心を定量的に評価できるか?
自分の性格を自分なりに分析してみると
自分自身を実際よりもよく見せようとする傾向が強いとか、
自尊心というかプライドを傷つけられるのを極端に嫌うとか
そういったところに気づきます。さらに突っ込んで分析すると
大人になるというのは
この自尊心が傷つけられた時に、それをどう昇華消化するか、
その具体的な方法を自分でコントロールして遂行できるようになること、と言ってもいいかとも思います。良い性格、良い言動をする人を人格者といったりしますが
この人格というのはいったいなんだろうか?と考えたりしてしまいます。感情に溺れる人は人格者とは言えないと思いますが
内面に渦巻く感情をうまくコントロールして昇華できれば人格者になりえます。
それとも、人格者は内面にちっともネガティブなことが浮かばない、発生しない人のことを言うのか・・・。
でもそれは、外からはわかりませんよね。内面、心での発生の傾向?発生した場合の引きずりの時間?表面に出すか出さないか?
こういったことを定量的に何かで測定して、人格者とか波動が高いとか、指標なり数値が出て定量的に議論できるものなのだろうか?どんなに多面的な数値を引っ張ってきて数値化しても
人のある一面を切り取って、それを評価しているにすぎないと思うのです。つまり、表向きだけ取り繕っても、お天道さまは本当に見ていてくれるのだろうか?
ということです。他人の多くが知らない良いことをして、それがお天道さまが見ていてくれて、ご褒美をくれたとしても
当の本人が、そのご褒美を認識できないなんてことは多々あるんだと思います。なんだか支離滅裂になってきましたので、まとめます。
人に認められようが、認められまいが、
お天道さまに見ていてもらう、もらわないにかかわらず
自分が思うところを、着実に進むしかないということです。
ぐらついても、また気を取り直して、負けないことです。
たぶん、それしか、道はないんだと思います。
少なくとも、未来の自分一人に役に立つのなら、もしかしたら、別にもう一人は役に立つかもしれません。
ですので、ブログ更新、今後も続けていきます。
ちきゅうにて