【書評というより読書感想文】人生やらなくていいリスト

  • ブックマーク
  • Feedly

この前、四角大輔さんと本田直之さんの本、「モバイルボヘミアン」を読んで、その書評をブログに書きました。そして、その記事をツイッターで紹介しました。すると、四角さん本人から、コメントをいただけました。
ほんの数文字の短いコメントでしたが、とても嬉しく思い、今度は、四角大輔さんの単著「人生やらなくていいリスト」講談社α文庫を買って読みました。この本は2018年4月に発行の新しい本だけれど、もともとは2010年5月にサンマーク出版より刊行された『やらなくてもいい、できなくてもいい。』を大幅に加筆、再編集し、改題のうえ文書化したもの、ということです。

四角さんへの共鳴の理由

なんとなくシンパシーを感じた理由は、前に読んだ「モバイルボヘミアン」に書かれている四角さんのオリジナリティーの掛け合わせに、オーガニックや自給自足という言葉があり、僕も農業に関心を持っていることからの共鳴か?と始めは思っていたのですが、実はそれよりも、小さいころ野球少年だった、という共通項に対してなのでは?と思いなおしました。最近はワールドカップで日本が活躍したこともあり、サッカー人気が盛り上がっていますが、僕も小学校中学校と野球少年でした。

僕の野球少年時代

しかし、小学校のリトルリーグでは6年生のチームの主力のときは一勝もできませんでした。また、中学校の部活では3年の中体連では一回戦で負けました。試合ではヒット二本打ちましたが、それがチームのヒットすべてでした。そして、もしそれがすべてホームランであれば、試合は勝ったかもしれません。でも、当時の僕が猛練習しても、ホームランを打つことはできなかったろうと思います。

本を読んで、高校での部活での経験を思い出した

そんなこともあって、野球に見切りをつけて、高校では陸上部に入りました。高3の時には1600メートルリレーで、インターハイ全国大会に出場しました。

実は、1600メートルリレーの予選決勝と800メートル走の予選決勝の4レースは、県大会では、同一の日に行われます。1600メートルリレーの県大会で予選を思いがけず通過してしまったので、次のプログラムの800メートル走の予選に出場すべきか棄権すべきか、選択を迫られました。

僕の体力からすると、800メートル走に出場すると、最終の1600メートルリレーでは、疲れてしまっていて、満足な走りはできないことが容易に想像できました。

そこで、個人種目の800メートル走は捨てる(棄権する)決断をしました。

その甲斐あって、1600メールリレーの決勝では今まで一番の走りができ、県大会を勝ち抜けました。そして、次も東海大会も通過して、全国大会に出場が決まったのです。

県大会の予選を通過すすまでは、思ってもいなかった1600メートルリレーの全国大会出場でした。800メートル走を捨てることによって、1600リレーで全国大会へ出場という思いもかけない結果が得られたのです。

何かを捨てることによって、別な何かを掴むことができる、ということを遠い昔に経験していたことを思いだしました。

人生やらなくていいリストというよりも、、

人生やらなくていいリストという題名の本ですが、どちらかというと、こうしたらどうか?という提案の本に思えます。

僕が線を引いたところを抜き出します。

自分の声に従い、「自分にできることだけ」を、ただひたすらやり続けたことが、僕の仕事を、いや人生を、決定づけたといえる。

いまあなたがいる場所で従うべきとされる常識やルールは、
本当に「絶対」だろうか。僕らが従うべきルールは、「自然の摂理」だけというのが、僕の考え。
もし、もうひとつあるとするならば、それは「あなたが心の奥底から、本気でやりたいと思えることだけ」なのではないだろうか。

重要なのは、あきらめて立ち止まるのではなく、自分でできる範囲内のことを、まずは「やる」と決めて行動すること。そして、それをやり続けることだ。

「小さな努力を重ねることで起こせる奇跡、得られる感動を、ひとりでも多くの人に味わってほしい」

素直な球を、愚直に投げ続けることができれば、必ず人の心に届けることができるからだ。
大ヒットは、たったひとりの情熱から始まる。

そして、最後にもう少し、ここを書き出すのが僕の役目だと勝手に思ってしまった部分を、少し長くなりますが、引用します。

それでも、僕の行動は会社員としては失格。当然、組織として評価されことはなかった。だが、本社にたったひとり、そんなぼくを高く評価してくれる人がいた。
北海道で三〇パーセントのシェアを獲得した、その男性アーティストを担当する、東京本社に勤務するYプロデューサーだった。

彼は当時の業界でも有名人で、全国を揺るがすような超大型タイアップを何度も決めたり、史上最年少で課長になるなど、いわゆるスター社員。

新入社員のぼくにとっては、恐れ多くて会話もできないほどの存在だった。

そんな人が、当時二千人もいた社内で、ぼくの存在に気付いてくれた理由。
それは、「札幌に変なヤツがいる」と噂になっていたからだ。

そして、なんと、その男性アーティストのアシスタントプロデューサーとして、東京に引っ張ってくれたのだ。ぼくが三年目から本社勤務になったのは、このためだった。

その七年後、彼はワーナーミュージック・ジャパンの社長に大抜擢されるが、ぼくは彼について転職。結局計十年以上も彼の部下として働くことになる。

彼がいなければ、あれほど長時間、音楽業界で働き続けることはできなかったし、プロデューサーとして、あの結果を出すこともできなかったと断言できる。

そして、現在のライフスタイルも、実現しなかっただろう。

いまはもう天国にいるYさんには、いくら感謝してもしきれない。

この部分は、著者の人柄がでている、そんな気がしました。

まとめ

読んでいると、若いころを思い出します。若かりし頃の純粋な心を取りもどすきっかけになり得ます。同時に、参考になるところも多いです。おすすめします。

  • ブックマーク
  • Feedly
富士山

この記事を書いた人

三上あき
アグリセラピスト
占術家(断易)
日本断易学会認定(坤綬)

趣味温泉巡り。特に草津、万座、西伊豆がお気に入り。