草取りをしていて、ふと気づいたことがあります。
草を抜くために、根元をつかみ、ぐっと引っ張る。
その瞬間、手指が大地とつながるような感覚があります。
普段、私はスマホを触り、PCのキーボードを打ち、画面の中で考えごとをしています。
気づかないうちに、手指も、頭も、少し帯電しているような状態になっているのかもしれません。
ところが、草をつかみ、土の抵抗を感じながら引っ張ると、その余分なものが大地に流れていくような気がするのです。
アースされる。
グランディングされる。
そんな言葉が、ぴったり来ます。
草取りに夢中になっていると、だんだん無心になります。
あれこれ考えていた悩み。
どうでもよい心配。
先のことへの焦り。
人からどう見られるかという思い。
そういうものが、いつの間にか少し遠くなっています。
目の前にあるのは、草と土と、自分の手だけです。
一本抜く。
また一本抜く。
根が深ければ、少し角度を変える。
土が硬ければ、無理に引かず、周りをほぐす。
そうしているうちに、心の中の絡まったものも、少しずつほぐれていくような気がします。
草取りは、単なる作業ではありません。
私にとっては、身体を使った坐禅のようなものです。
正座をして静かに呼吸を整える時間も大切です。
けれど、草取りには草取りの整い方があります。
手を動かす。
土に触れる。
汗をかく。
疲れる。
そして、草取りに集中した日の夜は、ビールがおいしい。
体を使った後の一杯は、頭だけで疲れた日のビールとは違います。
その夜は、よく眠れます。
悩みが完全になくなるわけではありません。
問題がすべて解決するわけでもありません。
けれど、草取りに夢中になっている間だけは、どうでもよい悩みを忘れていられる。
これは、小さなことのようで、実はとても大きいことだと思います。
人間には、悩みを解決する時間だけでなく、悩みから一度離れる時間も必要なのです。
私にとって草取りは、そのための時間です。
草を抜きながら、大地につながる。
手指がアースされる。
頭の中の余分な電気が抜けていく。
気づけば、心も少し静かになっている。
だから私は、これを「草取り禅」と呼んでいます。