自分を戻すための、私なりの型

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最近、ひとつ気づいたことがあります。

私はすでに、自分を戻すための「私なりの型」を持っていたのだ、ということです。

ここでいう「型」とは、特別な能力や、立派な習慣のことではありません。
心が散ったとき、頭の中がいっぱいになったとき、もう一度自分に戻ってくるための、私なりの順序のことです。

振り返ってみると、その型はとてもシンプルでした。

まず、正座です。

正座をすると、心が静かになります。
何かすごいことが起きるわけではありません。
でも、散らばっていたものが、少しずつ収まっていく感じがあります。

考える前に、まず整える。
私にとって正座は、そのための入口です。

次に、私がよく通うコワーキングスペースの、大きな一枚板のテーブルです。

そこに向かって座っていると、不思議とリセットが起きます。
家とは違う。
ほどよく人の気配がありながら、自分の内側にも戻っていける場所です。

そして、あの大きなテーブルには、ただ座るだけで「余白」が生まれる感じがあります。

すぐに結論を出さなくていい。
急いで決めなくていい。
まずは、ひと息ついていい。

そんなふうに、自分の中に少し空間が戻ってくるのです。

そしてもう一つ、奈良県天川村の来迎院にある銀杏の木があります。

あの木の前に立ったとき、私はただ景色を眺めていたのではなく、問いを抱えたまま立っていたのだと思います。

すると、ふっと言葉が返ってくるような感覚がありました。

考え抜いて答えを出した、というより、
問いに対して応答が起きた。

私にとって、あの銀杏の木の前は、そういうことが起きる場所でした。

さらに最近は、「小窓の奥行き」に気づくような感覚もありました。

お気に入りのテーブルの先にある小窓の向こうにも、別の世界がある。
そんなことにも気づいたのです。


目の前に見えている世界は、思っているより狭くない。
小さな枠に見えていたものにも、その先がある。
見えているものの奥に、まだ広がりがある。

そんなふうに、世界の見え方そのものが少し変わる瞬間があります。

こうして並べてみると、私の中には、ひとつの流れがありました。

整える。
余白をつくる。
応答を受け取る。
そして、枠を外す。

この流れに気づいたとき、少し安心しました。

なぜなら、私は何か特別な才能があるから前に進めるのではなく、
自分を戻すための手順を、すでに持っていたのだとわかったからです。

調子が乱れたとき。
考えすぎて苦しくなったとき。
問いが見えなくなったとき。

またこの型を使えばいい。

そう思えるだけで、人はかなり助かるのではないかと思います。

そして、この話は私だけのものではない気もしています。

正座でなくてもいい。
お気に入りの椅子でもいい。
散歩道でもいい。
喫茶店でもいい。
台所でもいい。

人にはそれぞれ、自分を整える場所があり、余白が戻る場所があり、問いを持って立てる場所があるのではないでしょうか。

大事なのは、その場所の名前ではなく、
そこで自分の内側の何が切り替わるか、なのだと思います。

私にとっては、
正座があり、
大きな一枚板のテーブルがあり、
来迎院の銀杏がありました。

これからの時代、情報はますます増えていきます。
速さも、刺激も、便利さも、もっと強くなっていくと思います。

だからこそ、自分を戻す型を持っていることは、前よりもずっと大事になるのかもしれません。

整える。
余白をつくる。
問いに耳を澄ます。
そして、見えている枠を少しずつ外していく。

私はたぶん、これからもこの繰り返しの中で生きていくのだと思います。
そして人生は、こういう静かな型によって、何度でも立て直していけるのかもしれません。

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富士山

この記事を書いた人

三上あき
アグリセラピスト
占術家(断易)
日本断易学会認定(坤綬)

趣味温泉巡り。特に草津、万座、西伊豆がお気に入り。