建礼門院ゆかりの寂光院

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大原へ行くことになり、有名な三千院に行き、宿泊した宿で借りた自転車を宿に返しました。そして、大原バス停まで向かおうと歩いていたところ、「寂光院」と書いた案内看板を見つけました。

大原のお寺を調べていた時に、建礼門院ゆかりのお寺と書いてあるあったと記憶していたお寺です。京都駅へ戻るモードになっていた私でしたが、もう少し大原に留まり、寂光院へと向かうことにしました。鎌倉殿の13人の源平の壇ノ浦の合戦を見ていた時に、船から海へと飛び込んんだ、平家の女性や幼き天皇の姿を思い出したのです。その飛び込んだ平家の女性のうち、生き延びた女性、言い方が難しいのですが、死なせてもらえなかった方、もしくは、源氏によって助けられた女性が、建礼門院。そして囚われの身となって、京都に戻されたそうです。そして、この京都の田舎に移り住んだそうです。確か、高校生時に授業か、テキストで読んだ、平家物語にも登場したことを朧げながら覚えています。

平家にあらずんば人にあらず、と繁栄の極致を極めた平家ゆかりのお人が、京都の田舎で、こんな質素なお寺に住むなんて、と多くの人がそして、平家物語でも後白河法皇との対面等でも語られています。後白河法皇がここを訪れた時、建礼門院は山に花摘みに行っている最中だったそうで、面会も嫌がったとも言われていますが、本当のことはわかりません。でも、山に花摘みに行くということも、都のど真ん中で優雅に暮らすのとは、また別の楽しさをもしかしたら、感じていたのではないだろうか?と希望的な観測をしながら、お寺を見学したのでした。

寂光院
〒601-1248 京都府京都市左京区大原草生町67

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富士山

この記事を書いた人

三上あき
アグリセラピスト
占術家(断易)
日本断易学会認定(坤綬)

趣味温泉巡り。特に草津、万座、西伊豆がお気に入り。