さきどり大河ドラマ2022
ようやく今年の大河ドラマがスタートしましたが、これは、来年の大河ドラマの話です。来年は『鎌倉殿の13人』と発表されています。配役もすでに脚本の三谷幸喜さんから発表されています。三谷幸喜さんは、あの真田丸の脚本を書いた方ですから、鎌倉殿の13人もきっと面白いドラマとなることでしょう。でも、鎌倉殿?13人??と思う方も多いかと思います。
そこで、NHKWEBサイトから説明文を引用します。
『鎌倉殿』とは、鎌倉幕府の将軍のことです。頼朝が死んだあと、2代目の将軍・頼家という若者がおりまして、この頼家が2代目ということもあって、『おやじを超えるぞ!』と力が入りすぎて暴走してしまう。それを止めるために、13人の家臣たちが集まって、これからは合議制で全てを進めよう、と取り決めます。
この家臣13人が鎌倉殿の13人なのです。
鎌倉殿の13人のメンバーは以下の通りです。
大江広元 三善康信 中原親能 二階堂行政 梶原景時 足立遠元 安達盛長 八田知家 比企能員 北条時政 北条義時 三浦義澄 和田義盛
大河ドラマの主役、北条義時もこのメンバー、そして、もうひとり、注目すべきメンバーに和田義盛という人物がいます。鎌倉幕府初代侍所の長官だったのですが、和田合戦という1213年に鎌倉市街での合戦で、北条義時らに負けてしまいました。そして、その子孫は静岡県の三島市、清水町そして、裾野市に逃げて来たと伝えられています。
来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、静岡県で関係するのは伊豆だけではなくて、裾野市も少なからず、関係するのです。そこで、この和田合戦について学んでみよう!そう考えてこのイベントを計画しました。
『鎌倉殿の13人』放映決定記念講演会(和田合戦810年記念)
「和田合戦の真実・・・和田氏は滅びてはいない・・・」
日時 2021年5月2日(日)13:30~16:15 受付開始13:15~
場所 裾野市市民文化センター(34、35(36)会議室)定員40名
記念講演 14:30~15:45途中休憩5分間(ご講演60分質問タイム10分間)
「和田合戦の真実・・・和田氏は滅びてはいない・・・」
講師 伊藤一美先生(三浦一族研究会 会長)
このイベントは、住友理工様 夢・街・人づくりin裾野・御殿場・長泉助成金の助成を受けております。
↑この看板があるセブンイレブン下和田店。ここの地主さんは真田さん。事業をやられているには後藤さん。そう、あの真田丸で一緒に戦ったメンバーと同じ姓です。何か不思議なご縁を感じます。
イベントプログラム
『鎌倉殿の13人』放映決定記念講演会(和田合戦810年記念)
「和田合戦の真実・・・和田氏は滅びてはいない・・・」
場所日時
日時 2021年5月2日(日)13:30~16:15(受付開始13:15~)
場所 裾野市市民文化センター(34、35(36)会議室) 定員40名
プログラム
1.会長あいさつ 13:30~13:33(3分) 下和田の歴史を伝える会 会長
(前半 下和田の歴史を伝える会活動報告の部)
2.下和田の歴史を伝える会の活動について 13:33~13:45(12分)
杉本明義
3.三浦一族と下和田の由来について
13:45~13:55(10分) 杉本修一
4.裾野市の自然環境と下和田
13:55~14:10(15分) 真田正昭
5.(仮題)全国の飯盛山と下和田
14:10~14:30(20分) 岩田朱実
(後半 講演の部)
6.記念講演14:30~15:45途中休憩5分間(ご講演60分質問10分) 第一部14:30~15:00休憩5分間第二部15:05~15:35質問タイム15:35~15:45
「和田合戦の真実・・・和田氏は滅びてはいない・・・」
伊藤一美先生(三浦一族研究会 会長)
北条氏の挑発によって、幕府創生の立役者和田氏は亡んだ、というけれど、実は、その一部が倒されたのであって、和田氏一門はその後も大きく成長展開していく。時代の歴史転換点に位置する和田氏の活躍を見直したい。
7.全体についての質問 14:45~15:55 参加者全員
8.連絡事項等 15:55~16:00(5分) 事務局
9.名刺交換等 16:00~16:15(15分)
参加費
下和田区民 当日 300円 事前申し込みされた場合は無料
一般 当日 500円 事前申し込み300円
(会場の準備の都合上、事前申し込みされる場合は3日前までにお願いいたします。)
活動報告の部(プログラム2~5)の内容は当日変更になる可能性がございます。承知おきください。
申し込み・問い合わせ、杉本明義までEmail;a.sugimoto999@gmail.com
講演者紹介
伊藤一美先生プロフィール
三浦一族研究会会長 葉山町文化保護委員会会長 鎌倉考古学研究所 理事 日本獣医史学会 理事 逗子市文化財保護委員会 委員 日本城郭史学会 理事 藤沢市文化財保護委員 職務代理者等々。
逗子吾妻鏡勉強会講師など、生涯学習の分野にも力を注いでいる。
主な著書等『武蔵武士団の一様態』『戦国時代の藤沢』『建治三年記注釈』『都市周辺の地域史』
和田合戦とは
1213年5月、鎌倉市内にて執権北条義時、将軍源実朝らと、和田一族が激しく戦いました。開戦当初は和田方が有利、土屋氏、横山氏奮戦するも、最後には執権北条氏側が勝利しました。
三浦和田一族とは
家系図をみると、和田義盛の祖父は三浦義明と言い、その三浦一族とは、土屋氏や真田氏、中村氏も血縁関係であることが分かります。三浦義明の嫡男は杉本義宗と名乗り、鎌倉の杉本寺近くに屋敷を構えていました。鎌倉から逃れた和田一族のうち、裾野市、三島市、清水町へと逃れた人たちは、その父の姓である杉本を名乗っています。
鎌倉殿の13人とは
鎌倉幕府は、初代将軍源頼朝の死後、二代将軍源頼家が政務を行う際に宿老の評議による意見を採り入れる十三人の合議制という集団指導体制を発足させました。
三浦和田一族からは、和田義盛、三浦義澄が名を連ねていました。
飯盛山について
飯盛山は全国に多数あり、下和田にも、そして鎌倉にもあります。鎌倉には複数の飯盛山がありますが、最も有名なのは飯盛山明王院です。明王院は鎌倉幕府第四代将軍によって設立され、不動明王をはじめとする五明王がまつられています。元寇の際にも護摩法要が執り行われたそうです。そして、下和田の飯盛山にも同様に不動明王がまつられています。
▼下和田の飯盛山
このイベントは、住友理工様 夢・街・人づくり助成金の助成を受けております。