「2019年から毎年、天河へ。節分の神事が教えてくれたこと」

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「この記事は2019〜2026のまとめです」

2019年から毎年、天河へ。鬼の宿神事と節分祭を追いかけて

奈良・天川村の天河大辨財天社(天河神社)。
私は2019年から、節分の時期(鬼の宿神事〜節分祭)に、ほぼ毎年参拝しています。

きっかけは「突然、行きたくなった」ことでした。
行ってみると、ここには独特の空気があり、神事があり、そして何より「自分の心の動き」がはっきり見えてきます。
以来、私は毎年少しずつ記録を書き続けてきました。


天河の節分が特別な理由:「鬼は外」ではなく「鬼は内、福は内」

天河神社の節分は、一般的な「鬼は外、福は内」ではありません。
天河では「鬼は内、福は内」と唱えます。

その背景にあるのが、節分前夜に斎行される「鬼の宿神事」です。
天河社社家は前鬼・後鬼の子孫と伝えられ、節分祭の前夜、鬼(神)を「宿」として迎えます。
そして翌朝、鬼が宿った証が確認できてはじめて節分祭が執り行われる——。
この「迎える」節分が、天河らしさだと感じています。


私の参拝スタイル:神事だけでなく、来迎院・禊殿へ

私の天河参拝は、本殿の神事だけで終わりません。
参拝の流れの中で、来迎院禊殿にも足を運びます。

不思議なのですが、天河では「歩く時間」そのものが効いてくる感覚があります。
神社の駐車場から禊殿まで歩く間に、気づきのようなものが立ち上がることがある。
来迎院の大銀杏は、懐が深く、ただ立っているだけで多くを語ってくるように感じます。


年ごとの記録(2019→2026)

2019年:ふたたび天河へ。「実直で素朴」な手触り

6年ぶりに天河の節分神事へ参加しました。
神事の空気、護摩焚きの炎と音、そして餅まき。
遠慮していると何も得られない——そんな当たり前のことも、体験として刻まれました。

この年は「実直で素朴」な印象が強く、余計なものが削ぎ落された感覚がありました。
そして「突然行きたくなって、行けた」こと自体が、すでに天河の不思議さでした。

⇩参集殿でのなおらいのおにぎり

2020年:暖冬、そして「本当に来たい人だけ来ればいい」

暖冬で行きやすい一方、参加者は少なめに感じました。
しかしそれが逆に、「本当に来たい人だけ来ればいい」というメッセージのようにも思えました。

炎の神秘、直会のおにぎりのおいしさ、護摩焚きの熱。
天河はやはり「節分の時期がいちばん天河らしい」と確信した年でした。

2021年:コロナ禍、人数制限。それでも続いていく神事

参加は限定50名。神事も形式が変わり、直会はおにぎり配布など工夫されていました。
「状況が変わっても、核は失われない」——そんなことを感じました。

⇩オリオン座がよく見えました。

⇩参集殿でのなおらいのおにぎり

2022年:制限が続く中、宮司交代の説明も

コロナの波が続く中での斎行。
護摩の最後には宮司交代についての説明があり、天河もまた時代の中で受け継がれていくのだと実感しました。

2023年:厳かな寒さ。空気感だけで十分だと思えた

特に寒く、足元から冷えるほどでした。
それでも神殿で待機し、空気を感じるだけで十分だと思えました。

この年には「どうして天河へ?」と聞かれ、うまく答えられなかった。
でも、天河は言葉より先に体が理解してしまう場所なのかもしれません。

2024年:雪がない違和感。新駐車場など“変化”も見えてきた

雪がなく行きやすい反面、凛とした空気が薄いようにも感じました。
一方で、新しい駐車場の案内など、オーバーツーリズムへの対応も進んでいるように見えました。

また、来迎院では「ゼロ磁場ポイント」の話も聞きました。
天河は、毎年同じようでいて、必ず何かが違う。

2025年:巳年の影響。参拝者が一気に増えた年

巳年の年明けは参拝者が例年の何十倍も訪れたそうです。
鬼の宿神事も早期に定員に達し、雪の夜となりました。

寒さの中でも護摩の時間に晴れ間が出る瞬間があり、厳しさと心地よさが同居していました。
禊殿への道では氷瀑にも出会い、「冬の天河」の輪郭がよりはっきりした年でもあります。

⇩025年の2月には銀杏の木の周りには木枠はありませんでした。

2026年:真言と般若心経。オーバーツーリズムの中での“まじめさ”

雪の中でも境内が整えられ、安全に参加できました。神職の方々への感謝が強まった年です。
今年は、神殿で待機しながら大宮司様のお話を聞くというより、真言・般若心経を唱える時間が中心で、印象としては「まじめ」でした。

節分祭や護摩、餅まきの時間帯も少し変化したように感じます(記憶違いかもしれませんが)。
餅まきでは直感で立ち位置を選び、大きなお餅をゲット。しかし転倒して泥だらけになるという代償も(笑)。
人の多さの中で、神社側の改善活動も進んでいるように見えました。

奉納演奏では「一緒に拍手し、踊り、共にやりましょう」という呼びかけがあり、天河の精神を改めて教わったように思いました。

来迎院:大銀杏を守る“枠”が設置されていた

2026年には、来迎院の大銀杏の周りに木枠が設置され、保護されていました。
毎年会いに行っているからこそ、こうした変化にも気づけるのだと思います。


まとめ:少しずつ、書き続けてきて良かった

天河の参拝は、派手な奇跡を追いかける旅ではありません。
むしろ「毎年少しずつ違う」「その違いに自分が気づく」——その積み重ねです。

私は、愚直に継続することが自分のスタイルだと、ここ数年で強く自覚しました。
そして天河は、その継続を静かに支えてくれる場所なのかもしれません。


⇩あ字観の碑

参考リンク

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富士山

この記事を書いた人

三上あき
アグリセラピスト
占術家(断易)
日本断易学会認定(坤綬)

趣味温泉巡り。特に草津、万座、西伊豆がお気に入り。